ペア碁の25年・回顧と未来
滝 久雄
私は、小学生のときに囲碁を始めて以来、今日までずっと大切な趣味として親しんできています。もう30年ほど前のことになりますが、日本棋院のお手伝いをさせていただく機会があって、その頃に囲碁を愛する者として、囲碁の発展のために囲碁ファンの裾野を拡大しなくてはという思いを強く持つようになりました。
江戸時代の「御城碁」にも象徴されるように日本は古くから囲碁が盛んな国でした。今から40年ほど前のことになりますが、囲碁はたいへん人気があり、最も盛んな頃には、日本の企業の社長の6パーセントくらいが囲碁を趣味としているといわれるほどでした。
しかし、その後、囲碁の人口は徐々に減り始め、熱烈な囲碁ファンとしてはじっとしておれないという状況になっていました。
囲碁ファンの減少に歯止めをかけ、再び囲碁の普及拡大を目指さなければならないと、そういう心境である、囲碁の懇親会に参加した時のことでした。私の目の前に、碁盤を二つ並べて複数の人が交代で打つ連碁を若い女性たちが嬉々としてやっている姿がありました。女性たちが楽しむこの雰囲気を囲碁普及のエネルギーとして活かせるのではないだろうか。私の中に、その強い思いが生まれたのです。
連碁にはエキシビションゲームとしての楽しさがあります。しかし、勝負を競うゲームとして見た場合には欠点もあると思います。それは、隣の人が打った手を目の前の碁盤に自分も並べるという作業を必要とすることです。つまり、ゲーム中に左脳を使うことになり、勝負事としての意味合いが減じてしまうのです。その左脳の作業を無くせないだろうか……、そう考えた末に生まれた構想が、一つの碁盤を使って2人対2人で対局するペア碁でした。これなら、勝負脳ともいえる右脳だけでゲームが進行できます。しかも、ペアで合計4人が打つので戦局の変化も大きくなり、パートナーの考えまで読まなくてはならないという面白さもある。これはまったく新しいゲームになり得るという直感とともに、発想がどんどん広がりました。
打つ順序は、黒の女性、白の女性、黒の男性、白の男性とし、このローテーションに従い着手するものとしました。4人での対局となりますから誤順というリスクも想定されます。そこで、故意の誤順については違反としますが、故意でなければ原則として3目のペナルティとすることを決めました。
対局中のパートナー同士の会話は禁止と決めました。対局中に自分のパートナーと次はどこに打つのかという相談などはできないために、対局の相手ペアだけでなく自分のパートナーがどんな狙いで打ったのかということも読まなければならず、これが一層スリリングなゲーム展開をもたらし、ゲームとしての深さを増してくれるだろうと考えたのです。
このようなルールをまとめ上げたうえで、私は1990年に4 カ国・地域から32 組64 名が参加する「第1 回 国際囲碁アマチュア・ペアトーナメント大会(NKB杯)」を開きました。ただし、この第1回は、私が構想した内容を検証することを主目的にし、プレ大会という位置づけで考えていたことから、当時私が代表取締役社長を務めていた株式会社NKBがスポンサーとなって開催しました。じつは、この大会では連碁と同じように2面の碁盤を使用してペアでの対局を実施してみました。同じようにただ並べる作業がもたらす左脳への影響によってゲーム性が損なわれるはずであるという、私の仮説を検証するためです。対局後の参加者の感想を聞き、さらに識者に取材した結果、私が考えたとおりでした。そして、1つの碁盤で対局する方が右脳主体となるようでゲーム性に優れているという結論を得ることができました。
プレ大会的な意味合いで考えていた第1回大会ではありましたが、大会そのものは大変盛り上がって終えることができました。この成功によってゲームとしての完成度に確信を持つことができ、「ペア囲碁(後にペア碁)」という名前で提唱し、これを本気で育て、世界中に広く普及していこうと決心しました。
この時の大会は会場に格式のあるホテルを使用しました。女性に喜んで参加してもらうために会場の空間にも配慮し、ホテルで、かつ禁煙でと決め、さらに出場者にはいつもよりドレスアップをして参加してくださいとお願いしました。私には、ペア碁を男女の社交の場のゲームとして提唱したいという思いもあったからです。この考えをより明確にしたいという思いから、国際アマチュア・ペア碁選手権大会では、後にベストドレッサー賞が設けられることになりました。
1991年の第2回大会では、大会の意義を理解してくれたJR東日本等の協賛が得られ、一層本格的な国際大会としての歩みを始めました。JR東日本をはじめとする鉄道会社の応援はとてもうれしいことでした。大会が近づくと駅や車輌にポスターが掲出されました。毎日の通勤や通学、買い物等で駅を利用する多くの人が目にするそれらの広告・PRがあったことが、ペア碁が発展するための大きな要因の一つとなったことは間違いありません。なお、JR東日本の応援は今回の25回大会まで継続しており、公益財団法人日本ペア碁協会のペア碁普及活動を大いに助けていただいています。
ペア碁が順調なスタートを遂げ、囲碁の普及のために役立つという認識が広がっていくなかで、私が次に取り組んだのは、ペア碁の着実な発展の礎となる財団法人を設立することでした。当初、私の周囲からは「ペア碁の協会が財団法人として認められるのは難しいのではないか」という声も聞かれました。しかし、ペア碁は一般の囲碁とのゲームとしての違いがはっきりしており、ペア碁ならではの面白さからゲームとしての将来性もある。そして、囲碁の普及のために有効であり、日本の囲碁文化を守り育てるために役立つものである。そのような理由から、私は財団として認めてもらえるはずだと強く確信していました。
私はその信念をよりどころに、日本を代表する航空会社、鉄道会社、新聞社などの多くの企業、さらに各省庁を訪ね、囲碁を通じた知り合いとなっていた政財界の方々に「囲碁の普及のためにペア碁を一緒に育ててください」とお願いを続けました。
そういう中で熱心な応援団になってくださったのが、内閣法制局長官等で知られた吉國一郎さんであり、後に第8代ユネスコ事務局長を務めた松浦晃一郎さんでした。吉國さんには財団法人日本ペア碁協会を設立できたときに初代会長に就任していただきましたし、松浦さんには2008年に世界ペア碁協会を設立したときに会長に就任していただきました。
さらに、東京海上火災保険の社長、会長としても知られ、当時の日本棋院の理事長であった渡辺文夫さんが応援してくれたことも大変に心強かったことを思い出します。渡辺さんは、公益社団法人日本コントラクトブリッジ連盟を10年間かけて設立した人でもあり、会って説明したその場で「滝さん、これは面白い」と評価してくれました。囲碁界からは、岩本薫さんや増淵辰子さんも大きな関心を寄せてくれました。
他にも、大蔵事務次官を務めた小粥正巳さん、文部事務次官を務めた岩間英太郎さん、國分正明さん、会計検査院長を務めた矢﨑新二さん、などが応援を表明してくれました。こうして財団を設立するための取り組みの中で、理事候補ともいえる方々が集まり、実際に後年、それぞれのお立場で可能になったタイミングで財団法人日本ペア碁協会の理事や国際アマチュア・ペア囲碁選手権大会の役員等として協力してくださいました。
「難しい」と言われる中で始めた私の取り組みは1994年の5月24日に実を結び、文化庁より認可を受けて「財団法人日本ペア囲碁協会」が設立できました。私はこの機に、ペア碁の未来構想や、世界的に親しまれるゲームへ育っていく可能性等を紹介するパンフレットをまとめました。あれから20年が経ちましたが、当時、私が構想した通りに、世界中の人が楽しむゲームとしてペア碁が育っていることに大変な喜びを感じています。
財団法人日本ペア囲碁協会の誕生に関して忘れてはならないのが、これを記念してスタートした「プロ棋士ペア囲碁選手権」です。私は、日本のトップ棋士、男女32人が16のペアを組んで参加するプロの大会をぜひ開催したいと考え、吉國さんを通じてお会いした株式会社リコーの社長であった浜田広さんに協賛をお願いしました。囲碁7段の腕前であった浜田さんは「滝さん、プロ棋士のトップが勢ぞろいするとはじつに興味深い。もし大竹英雄さんと小林光一さんが同時に出る大会が実現するのならぜひ協力したい」とすぐに関心を示してくれました。私は、ペア碁が世界の代表的な親善ゲームになるかもしれないという夢を真剣に話して、第一線で活躍するプロ棋士の皆さんにお願いして歩きました。そして、「リコー杯」の冠のもと、トッププロ棋士32人が、初めて一堂に会する大会が実現したのです。初代の審判長は「この大会は囲碁の普及のためになる」と岩本薫さんが引き受けてくれ、以降、大会の意義を感じてくれた呉清源さん、藤沢秀行さん、大竹英雄さんが審判長を務めてくれています。大会に参加した石田芳夫さん、小林光一さん、趙治勲さん、武宮正樹さん、小林覚さん、小川誠子さんといった一流の棋士たちも「実際にやってみたらとても面白い」と評価してくれ、それ以降、プロ棋士ペア碁選手権が、重要な大会としてプロ棋士たちからも位置づけられ、今年ですでに第20回目の開催を終えています。
ペア碁では、ペアを組む二人の段級位を足した数を互いのペアが同じになるようにすれば、対等なゲームが楽しめます。2段と7段で合計が9段のペアと、4段と5段で合計が9段のペアによって白熱した対局が可能になるわけです。そのようなペア碁の特徴から、国家同士が親善を深めるためにもとても良いツールとなるはずです。国家と国家の親善は対等であることが大切であり、ペアの組み方で対等にできやすいペア碁は親善ゲームに向いています。例えば、国家の元首同士が外交の場で「ペア碁」を楽しむ時に、片方の元首は6段の実力で、もう片方の元首は2段の実力であるなら、それぞれ2段、6段のパートナーとペアを組めばいいわけです。しかも、「勝つと嬉しさ二倍、負けても悔しさ半分」というペア碁がもっている本質的な要素も国際親善には大いにプラスになることでしょう。私は、ペア碁が国際親善にも貢献することをゲームの生みの親として強く願っています。
国際親善ということでは、世界共通の正確なレーティングも今以上に必要になると思います。私には、囲碁の普及のために、ペア碁のほかにもう一つ取り組んできた事業があります。それは、1995年に作ったインターネット囲碁対局システム「パンダネット」です。サービス開始当時は、ニューヨークタイムズや日経新聞等に、国際的に活用されている唯一のコンテンツとして大きく紹介されたので、熱烈な囲碁ファンの中にはご記憶の方もいるのではないでしょうか。その後、パンダネットはインターネット環境の発達とともに目覚しい進化を遂げ、さまざまな機能を搭載するようになり、今では日本だけでなく世界中の囲碁ファンに広く使われるサイトに育っています。
その開発の中で確立し、特許も取得している独自のレーティングシステムは、ハンデを活かして対局を楽しみたい人にとても喜ばれています。このレーティングシステムの提供を開始してすぐに、荏原製作所の代表取締役副社長も務められ、アマチュアの囲碁界の重鎮として知られる存在であった村上文祥さんが「パンダネットのレーティングはなかなかに優れものであり、これを世界のデファクトにできないものか」と高く評価してくれたのはとてもうれしいことでした。「囲碁の重要な楽しさの一つは、実力の違う人同士でもハンデを付けて対等に楽しめるということだ」「そのハンデの設定の基準となるレーティングが正確であればあるほど、一般の囲碁はもちろん、ペア碁の対局をフェアな条件の下で楽しめる」「だからこそ、このレーティングはものすごく大切なのだ。公平なレーティングが確立されたら、碁の究極の楽しさが確立する」と、そのようなことを村上さんと熱く語り合ったことが昨日のことのように思い出されます。あの時のやりとりは、今も村上さんとの約束として私の中に生きています。私は、パンダネットのレーティングシステムの精度をますます高め、それを日本ペア碁協会、そして世界ペア碁協会を通じて世界のペア碁ファンが利用できるような仕組みづくりもこれからの重要な課題として精力的に取り組み、進めていきたいと考えています。
私は、皆様と力を合わせ、ペア碁が世界の人々にますます愛され親しまれるゲームになることを願っています。ペア碁を愛する皆様、一緒にペア碁の、そして囲碁の未来を育てていきましょう。
―――― 2014年9月、
ペア碁誕生25周年にあたって 滝 久雄(たき ひさお)
1940年2月3日生まれ
主な経歴
・公益財団法人 日本ペア碁協会 評議員・創設者
・株式会社ぐるなび 代表取締役会長・創業者
・株式会社NKB 取締役会長・創業者
・公益財団法人 日本交通文化協会 理事長
・一般財団法人 ホモコントリビューエンス研究所代表理事・会長
・株式会社ぐるなび総研代表取締役社長
・東京商工会議所1号議員
・在日フランス商工会議所名誉委員
・日仏クラブメンバー
(2014年9月現在)
大学関係
2004年 東京工業大学経営協議会委員(~2012年)
2005年~ 東京工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授就任
2008年 東京大学 生産技術研究所 顧問研究員(脳科学研究)(~2010年)
2010年 京都大学大学院 工学研究科非常勤講師
2010年~ 東京藝術大学 経営協議会委員
2014年~ 一般社団法人蔵前工業会理事長
省庁関係
2006年 総務省 ICT国際競争力懇談会構成員
2006年 総務省 地方の活性化とユビキタスネット社会に関する懇談会構成員
2007年 総務省 情報通信審議会委員
2009年~ 国土交通省 YŌKOSO! JAPAN 大使(現 VISIT! JAPAN大使)
2013年~ 内閣府 規制改革会議委員
2013年~ 内閣府 パーソナルデータに関する検討会委員
2014年~ 総務省 情報通信審議会2020-ICT基盤政策特別部会 臨時委員
2014年~ 内閣府経済財政諮問会議政策コメンテイター
受賞
1999年 交通文化賞(運輸大臣表彰)
2003年 東京都功労賞
2007年 社団法人蔵前工業会 第一回 蔵前ベンチャー大賞
2008年 社団法人日本広告業協会功労賞「経済産業大臣賞」
2009年 The Harvard Business School Club of Japan Entrepreneur of the Year
Award for 2009
2009年 財界研究所 経営者賞
2010年 「情報通信月間」総務大臣表彰
2010年 第10回 ポーター賞
滝 久雄
ペア碁を発想
私が「ペア碁」を創案し、最初の大会「第1回 国際囲碁アマチュア・ペアトーナメント大会(NKB杯)」が開催されてから25年が過ぎました。ペア碁を発想するきっかけとなったのは、大好きな囲碁をもっと広く普及するにはどうしたらいいだろうかと考えたことでした。私は、小学生のときに囲碁を始めて以来、今日までずっと大切な趣味として親しんできています。もう30年ほど前のことになりますが、日本棋院のお手伝いをさせていただく機会があって、その頃に囲碁を愛する者として、囲碁の発展のために囲碁ファンの裾野を拡大しなくてはという思いを強く持つようになりました。
江戸時代の「御城碁」にも象徴されるように日本は古くから囲碁が盛んな国でした。今から40年ほど前のことになりますが、囲碁はたいへん人気があり、最も盛んな頃には、日本の企業の社長の6パーセントくらいが囲碁を趣味としているといわれるほどでした。
しかし、その後、囲碁の人口は徐々に減り始め、熱烈な囲碁ファンとしてはじっとしておれないという状況になっていました。
囲碁ファンの減少に歯止めをかけ、再び囲碁の普及拡大を目指さなければならないと、そういう心境である、囲碁の懇親会に参加した時のことでした。私の目の前に、碁盤を二つ並べて複数の人が交代で打つ連碁を若い女性たちが嬉々としてやっている姿がありました。女性たちが楽しむこの雰囲気を囲碁普及のエネルギーとして活かせるのではないだろうか。私の中に、その強い思いが生まれたのです。
連碁にはエキシビションゲームとしての楽しさがあります。しかし、勝負を競うゲームとして見た場合には欠点もあると思います。それは、隣の人が打った手を目の前の碁盤に自分も並べるという作業を必要とすることです。つまり、ゲーム中に左脳を使うことになり、勝負事としての意味合いが減じてしまうのです。その左脳の作業を無くせないだろうか……、そう考えた末に生まれた構想が、一つの碁盤を使って2人対2人で対局するペア碁でした。これなら、勝負脳ともいえる右脳だけでゲームが進行できます。しかも、ペアで合計4人が打つので戦局の変化も大きくなり、パートナーの考えまで読まなくてはならないという面白さもある。これはまったく新しいゲームになり得るという直感とともに、発想がどんどん広がりました。
ルールを決める
私の頭の中でペア碁の構想が整理された後に、具体的なルールも自ら考えました。原則として男女のペア同士が対局することとしました。ペアなら女性の初心者でも気軽に親しみやすく、多くの女性の参加によって囲碁ファンの裾野を拡大するという当初の目的を達成できる。そういうイメージが強く湧きました。打つ順序は、黒の女性、白の女性、黒の男性、白の男性とし、このローテーションに従い着手するものとしました。4人での対局となりますから誤順というリスクも想定されます。そこで、故意の誤順については違反としますが、故意でなければ原則として3目のペナルティとすることを決めました。
対局中のパートナー同士の会話は禁止と決めました。対局中に自分のパートナーと次はどこに打つのかという相談などはできないために、対局の相手ペアだけでなく自分のパートナーがどんな狙いで打ったのかということも読まなければならず、これが一層スリリングなゲーム展開をもたらし、ゲームとしての深さを増してくれるだろうと考えたのです。
このようなルールをまとめ上げたうえで、私は1990年に4 カ国・地域から32 組64 名が参加する「第1 回 国際囲碁アマチュア・ペアトーナメント大会(NKB杯)」を開きました。ただし、この第1回は、私が構想した内容を検証することを主目的にし、プレ大会という位置づけで考えていたことから、当時私が代表取締役社長を務めていた株式会社NKBがスポンサーとなって開催しました。じつは、この大会では連碁と同じように2面の碁盤を使用してペアでの対局を実施してみました。同じようにただ並べる作業がもたらす左脳への影響によってゲーム性が損なわれるはずであるという、私の仮説を検証するためです。対局後の参加者の感想を聞き、さらに識者に取材した結果、私が考えたとおりでした。そして、1つの碁盤で対局する方が右脳主体となるようでゲーム性に優れているという結論を得ることができました。
プレ大会的な意味合いで考えていた第1回大会ではありましたが、大会そのものは大変盛り上がって終えることができました。この成功によってゲームとしての完成度に確信を持つことができ、「ペア囲碁(後にペア碁)」という名前で提唱し、これを本気で育て、世界中に広く普及していこうと決心しました。
この時の大会は会場に格式のあるホテルを使用しました。女性に喜んで参加してもらうために会場の空間にも配慮し、ホテルで、かつ禁煙でと決め、さらに出場者にはいつもよりドレスアップをして参加してくださいとお願いしました。私には、ペア碁を男女の社交の場のゲームとして提唱したいという思いもあったからです。この考えをより明確にしたいという思いから、国際アマチュア・ペア碁選手権大会では、後にベストドレッサー賞が設けられることになりました。
財団法人を設立
1990年の「第1回国際囲碁アマチュア・ペアトーナメント」によってゲーム性の高さが確認でき、普及の手ごたえが得られました。そこで私は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の当時副社長で、後に社長そして会長を歴任された松田昌士さんに応援をお願いしました。囲碁が好きで、囲碁の普及に理解を持つ私の兄貴分でもある松田さんは、ペア碁の意義に賛同し、全面的な応援を快諾してくれました。1991年の第2回大会では、大会の意義を理解してくれたJR東日本等の協賛が得られ、一層本格的な国際大会としての歩みを始めました。JR東日本をはじめとする鉄道会社の応援はとてもうれしいことでした。大会が近づくと駅や車輌にポスターが掲出されました。毎日の通勤や通学、買い物等で駅を利用する多くの人が目にするそれらの広告・PRがあったことが、ペア碁が発展するための大きな要因の一つとなったことは間違いありません。なお、JR東日本の応援は今回の25回大会まで継続しており、公益財団法人日本ペア碁協会のペア碁普及活動を大いに助けていただいています。
ペア碁が順調なスタートを遂げ、囲碁の普及のために役立つという認識が広がっていくなかで、私が次に取り組んだのは、ペア碁の着実な発展の礎となる財団法人を設立することでした。当初、私の周囲からは「ペア碁の協会が財団法人として認められるのは難しいのではないか」という声も聞かれました。しかし、ペア碁は一般の囲碁とのゲームとしての違いがはっきりしており、ペア碁ならではの面白さからゲームとしての将来性もある。そして、囲碁の普及のために有効であり、日本の囲碁文化を守り育てるために役立つものである。そのような理由から、私は財団として認めてもらえるはずだと強く確信していました。
私はその信念をよりどころに、日本を代表する航空会社、鉄道会社、新聞社などの多くの企業、さらに各省庁を訪ね、囲碁を通じた知り合いとなっていた政財界の方々に「囲碁の普及のためにペア碁を一緒に育ててください」とお願いを続けました。
そういう中で熱心な応援団になってくださったのが、内閣法制局長官等で知られた吉國一郎さんであり、後に第8代ユネスコ事務局長を務めた松浦晃一郎さんでした。吉國さんには財団法人日本ペア碁協会を設立できたときに初代会長に就任していただきましたし、松浦さんには2008年に世界ペア碁協会を設立したときに会長に就任していただきました。
さらに、東京海上火災保険の社長、会長としても知られ、当時の日本棋院の理事長であった渡辺文夫さんが応援してくれたことも大変に心強かったことを思い出します。渡辺さんは、公益社団法人日本コントラクトブリッジ連盟を10年間かけて設立した人でもあり、会って説明したその場で「滝さん、これは面白い」と評価してくれました。囲碁界からは、岩本薫さんや増淵辰子さんも大きな関心を寄せてくれました。
他にも、大蔵事務次官を務めた小粥正巳さん、文部事務次官を務めた岩間英太郎さん、國分正明さん、会計検査院長を務めた矢﨑新二さん、などが応援を表明してくれました。こうして財団を設立するための取り組みの中で、理事候補ともいえる方々が集まり、実際に後年、それぞれのお立場で可能になったタイミングで財団法人日本ペア碁協会の理事や国際アマチュア・ペア囲碁選手権大会の役員等として協力してくださいました。
「難しい」と言われる中で始めた私の取り組みは1994年の5月24日に実を結び、文化庁より認可を受けて「財団法人日本ペア囲碁協会」が設立できました。私はこの機に、ペア碁の未来構想や、世界的に親しまれるゲームへ育っていく可能性等を紹介するパンフレットをまとめました。あれから20年が経ちましたが、当時、私が構想した通りに、世界中の人が楽しむゲームとしてペア碁が育っていることに大変な喜びを感じています。
財団法人日本ペア囲碁協会の誕生に関して忘れてはならないのが、これを記念してスタートした「プロ棋士ペア囲碁選手権」です。私は、日本のトップ棋士、男女32人が16のペアを組んで参加するプロの大会をぜひ開催したいと考え、吉國さんを通じてお会いした株式会社リコーの社長であった浜田広さんに協賛をお願いしました。囲碁7段の腕前であった浜田さんは「滝さん、プロ棋士のトップが勢ぞろいするとはじつに興味深い。もし大竹英雄さんと小林光一さんが同時に出る大会が実現するのならぜひ協力したい」とすぐに関心を示してくれました。私は、ペア碁が世界の代表的な親善ゲームになるかもしれないという夢を真剣に話して、第一線で活躍するプロ棋士の皆さんにお願いして歩きました。そして、「リコー杯」の冠のもと、トッププロ棋士32人が、初めて一堂に会する大会が実現したのです。初代の審判長は「この大会は囲碁の普及のためになる」と岩本薫さんが引き受けてくれ、以降、大会の意義を感じてくれた呉清源さん、藤沢秀行さん、大竹英雄さんが審判長を務めてくれています。大会に参加した石田芳夫さん、小林光一さん、趙治勲さん、武宮正樹さん、小林覚さん、小川誠子さんといった一流の棋士たちも「実際にやってみたらとても面白い」と評価してくれ、それ以降、プロ棋士ペア碁選手権が、重要な大会としてプロ棋士たちからも位置づけられ、今年ですでに第20回目の開催を終えています。
ペア碁で国際親善を
多くの方々の理解と応援があって、ペア碁は25年の間に、日本だけでなく世界の70カ国・地域で親しまれるゲームに育つことができました。私がこれからのペア碁について思うのは、国家間の親善のためのマインドスポーツとして、その大きな可能性を育てていくことです。ペア碁では、ペアを組む二人の段級位を足した数を互いのペアが同じになるようにすれば、対等なゲームが楽しめます。2段と7段で合計が9段のペアと、4段と5段で合計が9段のペアによって白熱した対局が可能になるわけです。そのようなペア碁の特徴から、国家同士が親善を深めるためにもとても良いツールとなるはずです。国家と国家の親善は対等であることが大切であり、ペアの組み方で対等にできやすいペア碁は親善ゲームに向いています。例えば、国家の元首同士が外交の場で「ペア碁」を楽しむ時に、片方の元首は6段の実力で、もう片方の元首は2段の実力であるなら、それぞれ2段、6段のパートナーとペアを組めばいいわけです。しかも、「勝つと嬉しさ二倍、負けても悔しさ半分」というペア碁がもっている本質的な要素も国際親善には大いにプラスになることでしょう。私は、ペア碁が国際親善にも貢献することをゲームの生みの親として強く願っています。
国際親善ということでは、世界共通の正確なレーティングも今以上に必要になると思います。私には、囲碁の普及のために、ペア碁のほかにもう一つ取り組んできた事業があります。それは、1995年に作ったインターネット囲碁対局システム「パンダネット」です。サービス開始当時は、ニューヨークタイムズや日経新聞等に、国際的に活用されている唯一のコンテンツとして大きく紹介されたので、熱烈な囲碁ファンの中にはご記憶の方もいるのではないでしょうか。その後、パンダネットはインターネット環境の発達とともに目覚しい進化を遂げ、さまざまな機能を搭載するようになり、今では日本だけでなく世界中の囲碁ファンに広く使われるサイトに育っています。
その開発の中で確立し、特許も取得している独自のレーティングシステムは、ハンデを活かして対局を楽しみたい人にとても喜ばれています。このレーティングシステムの提供を開始してすぐに、荏原製作所の代表取締役副社長も務められ、アマチュアの囲碁界の重鎮として知られる存在であった村上文祥さんが「パンダネットのレーティングはなかなかに優れものであり、これを世界のデファクトにできないものか」と高く評価してくれたのはとてもうれしいことでした。「囲碁の重要な楽しさの一つは、実力の違う人同士でもハンデを付けて対等に楽しめるということだ」「そのハンデの設定の基準となるレーティングが正確であればあるほど、一般の囲碁はもちろん、ペア碁の対局をフェアな条件の下で楽しめる」「だからこそ、このレーティングはものすごく大切なのだ。公平なレーティングが確立されたら、碁の究極の楽しさが確立する」と、そのようなことを村上さんと熱く語り合ったことが昨日のことのように思い出されます。あの時のやりとりは、今も村上さんとの約束として私の中に生きています。私は、パンダネットのレーティングシステムの精度をますます高め、それを日本ペア碁協会、そして世界ペア碁協会を通じて世界のペア碁ファンが利用できるような仕組みづくりもこれからの重要な課題として精力的に取り組み、進めていきたいと考えています。
私は、皆様と力を合わせ、ペア碁が世界の人々にますます愛され親しまれるゲームになることを願っています。ペア碁を愛する皆様、一緒にペア碁の、そして囲碁の未来を育てていきましょう。
―――― 2014年9月、
ペア碁誕生25周年にあたって 滝 久雄(たき ひさお)
1940年2月3日生まれ
主な経歴
・公益財団法人 日本ペア碁協会 評議員・創設者
・株式会社ぐるなび 代表取締役会長・創業者
・株式会社NKB 取締役会長・創業者
・公益財団法人 日本交通文化協会 理事長
・一般財団法人 ホモコントリビューエンス研究所代表理事・会長
・株式会社ぐるなび総研代表取締役社長
・東京商工会議所1号議員
・在日フランス商工会議所名誉委員
・日仏クラブメンバー
(2014年9月現在)
大学関係
2004年 東京工業大学経営協議会委員(~2012年)
2005年~ 東京工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授就任
2008年 東京大学 生産技術研究所 顧問研究員(脳科学研究)(~2010年)
2010年 京都大学大学院 工学研究科非常勤講師
2010年~ 東京藝術大学 経営協議会委員
2014年~ 一般社団法人蔵前工業会理事長
省庁関係
2006年 総務省 ICT国際競争力懇談会構成員
2006年 総務省 地方の活性化とユビキタスネット社会に関する懇談会構成員
2007年 総務省 情報通信審議会委員
2009年~ 国土交通省 YŌKOSO! JAPAN 大使(現 VISIT! JAPAN大使)
2013年~ 内閣府 規制改革会議委員
2013年~ 内閣府 パーソナルデータに関する検討会委員
2014年~ 総務省 情報通信審議会2020-ICT基盤政策特別部会 臨時委員
2014年~ 内閣府経済財政諮問会議政策コメンテイター
受賞
1999年 交通文化賞(運輸大臣表彰)
2003年 東京都功労賞
2007年 社団法人蔵前工業会 第一回 蔵前ベンチャー大賞
2008年 社団法人日本広告業協会功労賞「経済産業大臣賞」
2009年 The Harvard Business School Club of Japan Entrepreneur of the Year
Award for 2009
2009年 財界研究所 経営者賞
2010年 「情報通信月間」総務大臣表彰
2010年 第10回 ポーター賞